グリーナー紙で弊社、ベイリーナガセ・コンサルティングが紹介されました
2017年 10月 16日
ジャマイカの新聞、グリーナー紙で、弊社ベイリーナガセ・コンサルティングが紹介されました。
なんか、彼が主役でわたしは脇役で描かれてますが。
ここで読めます。英語。↓クリック。
英語で読むの面倒なかたに、内容をざくっと。
キングストン生まれの彼は、17才のときに家族で米国に渡ります。
1977年にマイケルマンリーがミドルクラスのジャマイカ人にマイアミ移住を奨励した、という
時代的背景があり、彼の家族はそのプロジェクトにのったそうです。
けど、当時はジャマイカ人は外貨を得るのに厳しい規制があり、
新地での生活はアメリカンドリームからかけ離れたもので、
彼はしばらくNYでメッセンジャーの仕事をしていたとか。
奨学金で大学に入り、
大学卒業の数日前にお父さんが急死、
お父さんとの死別を機に法律の道をめざし、大学法学部へ。
結婚し子供ができて、
それまで一度もジャマイカに戻ったことはなく、
合衆国に自分の人生を見ていた。
離婚を機に人生をふりかえり、
娘に自分の生まれ故郷を見せたいと思いはじめた。
教師だった母が定年退職してジャマイカに戻って暮らし始め、
それから彼は娘とジャマイカに行くようになり、
自分の中のジャマイカのルーツにめざめはじめた。
それには彼の叔父、ケン・ラムゼイの影響が強かった。
ケンを通じてわたしと知り合って、
ケンはわたしたちがビジネスか何かを始めるといいと言っていた。
彼とわたしの、似ていないキャラがお互いを補足しあっていいんじゃない?と。
彼曰く、わたしはシャイで静かな人にみえたらしい。
ケンが2008年に他界し、わたしたちはその後おつきあいをはじめ、
ベイリーナガセ・コンサルティングを設立、
ジャマイカで、ビジネスの可能性を探り、
ジャマイカと日本を結ぶというユニークなミッションを掲げています。
と、ざっくりですが内容はこんな感じ。
あらためて、同年代なのに苦労してるんだな~と思いました。
かたや、日本でなんの苦労もなく、
なんの不満もなく逆にジャマイカが刺激的に見えたわたしとは全然ちがうなと思いますよ。日本とジャマイカ、ちがいすぎ。